出産のときの記録

分娩室まで付き添った夫の体験談(前編)【陣痛室でいきみ逃し】

投稿日:2019年2月22日 更新日:

昨日の陣痛促進剤の点滴が終わって、一旦家に帰ったところまでは一つ前の記事で書いた
実はその後に続きがある。

あの後、一度は引いていた痛みが再び出現してきて、21時半頃には陣痛室へ移ることになった。
子宮口はこのときまだ4cmほど。
ただ、痛みが定期的になってきていることから、助産師さんの判断で陣痛室へ。

このときはまだ奥さんも「何かあったら連絡する」「今のうちに寝といて」という感じだったけど、徐々に雲行きが怪しくなってくる。
痛みが増してきたようで、「お母さんを呼ぶ」と言い出した。
「痛い」「一人で辛い」と何度も言う。

初めはただ弱音を吐いているだけだと思っていたけど、どうやらそうではなさそうだ。
「僕も行こうか?」と聞くと、「休めないでしょ?」「仕事行かないとダメでしょ?」との返信。

えーと、これは「来て」ってことですよね?

という高度で重要な判断を下した僕は、23時を過ぎてから病院へ行くことに。
心のどこかで奥さんが止めてくれることを願っていたことは否定しないけど……(^^;
「一人で乗り越える自信がない」と言われれば、行くしかないよね。
それが夫としてせめてもの役割。

僕が着いた頃には、かなり本格的な陣痛が始まっていた。
3分置きという短い間隔で痛みが来ていて、しかもかなり強い痛み。

ここでいわゆる「いきみ逃し」という仕事が僕に託される。
赤ちゃんが骨盤のあたりまで下がってきて、「何かが出る」という間隔に襲われるらしい。
それを和らげるためには、テニスボールで肛門や膣のあたりをグーッと押し込むのが有効とのことで。

僕が力一杯押し込んでも、向こうから押し返される感覚があった。
赤ちゃんを包んでいる膜が水風船のように広がってきていて、それが骨盤やお尻の痛みになって現れているらしい。
その力で子宮口が広がっているという効果もあるそうだ。
(ちなみにこの膜が「卵膜」で、これが破れるのが「破水」)

1時過ぎの診察で、子宮口は6cmくらいまで開いていた。
エコー検査で見ている分には赤ちゃんは若干小さめなので、8〜9cmまで広がったら分娩室へ移る可能性があるとのこと。

ここまでずっとテニスボールで押さえたり腰をさすったりしていたから、さすがに僕も疲れが出てきた。
明日の仕事への不安もあるし。
家族控室で待機していたお義母さんが来てくれたので、ここで交代してもらう。

控室は照明が煌々と明るくて「これはさすがに寝れないなぁ」と思っていたけど、気付いたら1時間以上寝ていた。
やっぱり疲れが溜まっていたのか……。
一度陣痛室へ行って代わろうとしたけど、「もうちょっと寝といたら?」と促され再び控室へ。
またしても気付いたら1時間以上寝ることに。

合計2時間以上寝ることができた。
仮眠とはいえ、これは大きい。
さすがにまったく寝ずだったら身体がもたない。
なんせアラフォーですから……。

4時過ぎにお義母さんと再び交代。
奥さんも痛み止めの点滴をしていて、ウトウトしながらちょっとずつ休んでいたらしい。
痛みの間隔も7〜8分くらいに空いていた。

このまま間隔が空いたままだと、朝からまた陣痛促進剤を使うことになりそうだという話。
奥さん的にはかなり辛かったみたいだから、できれば避けたいようだけど……。
病院としては早めに分娩まで持っていきたい姿勢に変わりはないので、この時点での状況では可能性高めかな、と。

いきみ逃しもセルフでできるくらいになっていたこともあり、奥さんの希望で僕は一旦家に帰ることに。
助産師さんも居なかったから奥さんを一人にするのは躊躇したけど、「帰ったら?」「帰った方が良いって」「大丈夫だから」と聞かない。
こうなると奥さんはまず曲げないので、促されるまま帰った。

こんな大変な状況にも関わらず、周りの人のことばかり考えるのがうちの奥さんです。
自分のことだけ考えてれば良いのに……。
すごい人だと改めて思う。
この人と結婚できてよかった。

正直、帰ることができて助かったのも事実。
仮眠が取れたとはいえ、明るくて寒い部屋の硬い椅子で2時間ちょっと寝ただけだから、少しだけでも家で眠れるのは回復具合が全然違う。
5時過ぎに家に着いて、7時過ぎまで寝ることにした。

ただ、なぜかベッドの方がなかなか寝付けなくて、結局30分くらいは起きていたと思う。
奥さんを一人で置いてきたことへの後ろめたさと、不安と、力不足の不甲斐なさがあったからだろうか。

結局家での睡眠(これも仮眠?)は2時間弱。
病院での仮眠を合わせると4時間ちょっとくらいだろうか。
思ってたより全然寝れた。
体力も回復できたと思う。
頭はあんまり回ってないけど……。

病院のコンビニで買ったおにぎりとサラダを口に詰め込み、何とか時間どおりに出勤できた。

昨日、病院へ行くときに職場へメールを送っていて、社長がそれを朝一で見ていてくれた。
(もちろんそうなることを想定したメール)
それに加えて夜中の展開を話して、「すぐにでも産まれる可能性がある」とやや大袈裟に報告(嘘ではない)。
その結果、人が増えてくる9時半には上がってもらって良いとの許可をもらった。
ありがたや。
午前中くらいは覚悟してたのに。
心から感謝申し上げますでございます。

結局は若干押して9:40くらいになったものの、病院には10時過ぎには着くことができた。
陣痛室では診察が始まっていて、着くやいなや追い出されることに。
廊下でお義母さんといろいろ話をしたけど、あんまり覚えていない。
「一晩中だから疲れてるでしょう?」と僕が聞いて、「休みながらだから大丈夫」とお義母さんが答えたのだけは覚えている。
親子揃って他人に心配をかけない人たちだ。

診察の結果、分娩室へ移ることになった。
子宮口が8cmまで広がっているらしい。
ベストタイミングというか、ギリギリというか。

ここまでが今日のプロローグ。
分娩室へ移ってからが怒涛の本編だった。

『分娩室まで付き添った夫の体験談(中編)』へ続く→

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きーやん

38歳で初めて子どもを授かりました。「本業は父親」をモットーに、当事者として育児に奮闘中。その中で感じたことや考えたことを、体験ベースで記事に書いています。子どもの教育資金などを蓄えるため、副業や投資についても試行錯誤の日々。

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