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新任パパの育児日記

自宅へ帰りたい。産後の憂うつと向き合う、半年間の試行錯誤と得た教訓。

投稿日:

産後しばらくの間、実家の世話になっている人は多いと思う。

その中で、自宅へ帰りたくても帰れない人たちはどれくらい居るんだろうか。

 

うちは今まさに、そんな状態。

主に精神的な理由で。

何度か自宅に帰ろうとしたけど、なかなかうまくいかず結局は実家へ戻っている。

 

「帰宅」が失敗に終わると、そのたびに奥さんは自信をなくしてしまう。

失意の中でなんとか自信を取り戻して、再び「帰宅」にチャレンジ。

その繰り返し。

 

最近になってようやく、奥さんと赤ちゃんが自宅と実家を行き来することが増えてきた

まだまだ実家に居る時間の方が長くて、自宅には「一時帰宅」という意味合いが強いのだけど。

それでも以前に比べれば、精神的にもずいぶん安定してきたように思う。

 

子どもが産まれてから約半年。

順調とは言い難いけれども、なんとかここまでやってきた。

 

これまでの経緯や、以前のうまくいかなかった理由なども含めて、簡単にまとめておきたいと思う。

同じように苦しんでいる人たちにとって、参考や励みになってくれたら嬉しい。

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先に結論まとめ

ここから先はかなり長い文章になるので、先に結論だけ簡潔にまとめておこうと思う。

「結論」というか、「教訓」みたいな感じかなー。

順不同です。

  • どんなときも油断したらダメ。奥さんの様子をしっかり観察し、小さな変化も見逃さないように。
  • 出産のダメージを甘く見てはいけない。
  • 頼れるものは何でも頼ろう。特に実家や家族は使い倒すつもりで。
  • 時間が解決してくれることもある。時間しか解決できないこともある。
  • 無理はしない頑張らない。「精一杯」の三歩手前でやめる。
  • 赤ちゃんと奥さんにとって何が最善か」を考える基準にする。

ここに至った背景とか経緯とかが以下の文章。

興味があればお読みください。

長いよ。

産後 1 ヶ月で帰るつもりだった。

実家へ戻った要因としては、僕が産休を取れなかったことが大きい。

産後すぐの奥さんが一人で子どもの世話をするのは、さすがに無理がある。

そこで、「とりあえず 1 ヶ月くらい」というフワッとした予定で実家へ帰った。

「1 ヶ月して体力が回復すれば、自宅に帰ってもなんとかなるだろう」

その程度の考えだったのだ。

 

自宅から実家へは電車で 1 時間程度。

僕は週に 1 ~ 2 回くらい、可能な範囲で通うようになった。

(このペースは今も変わっていない)

 

この頃の奥さんは、なかなかの頻度で「お父さんがうっとうしい(´-ω-`)」と言っていた。

いろいろ口を出してくるので、面倒くさく感じていたんだろう。

それを聞いて僕も「1 ヶ月のガマンだから(笑)」なんてことを言ってなだめていた。

 

要するに、ナメていたのだ。

育児の大変さも、出産によるダメージも、一人で赤ちゃんと向き合う孤独も。

この頃の僕たちは、何も分かっていなかった。

 

そして 1 ヶ月後、予定通り自宅へ帰ることになった。

一ヶ月検診を自宅近くの病院で受けるので、その日に合わせて。

産後 1 ヶ月
no image
奥さんと赤ちゃんが「帰宅」。新たな生活はバタバタの中でスタート。

生後1ヶ月+6日の今日、奥さんの実家から自宅へ赤ちゃんが初めてやって来た。 もちろん奥さんと一緒に。 我が子よ、ようこそ我が家へ(笑)。 昼過ぎから1ヶ月検診があったので、それに合わせて午前中に実家を ...

この頃はまだまだ余裕がある

ずっと実家に居て、ご両親のサポートを受けていたのだから当然といえば当然なのだけど。

 

この頃の僕や奥さんは、このままずっと自宅で過ごすものだと信じて疑わなかった

が、変調はすぐに起きる。

お宮参りを境に、奥さんが不調を訴える。

自宅へ帰ってきてから約一週間後、お宮参りに行ってきた。

赤ちゃんにとって初めてのライフイベント。

お宮参り
大阪天満宮
お宮参り前日〜当日の流れを完全レポート!【タイムスケジュール付】

実は10日ほど前にお宮参りを済ませておりまして。 なかなかまとめる時間がなくて先延ばしにしていたら、こんなに日が経ってしまった。 何せお宮参りの後に行ったクリニックで聞いた「ベビーワセリンはベビー用じ ...

 

当日の着るものや写真撮影、お参り後の食事会など、事前準備にもしっかりを手をかけた。

後から考えれば、このイベントが終わったことで気が抜けてしまったところはあったかも知れない。

帰宅してからずっと忙しくしてきたのが、急にふっと「日常」に戻ってしまったから。

 

しかも、以前のような両親によるサポートもない。

僕は仕事で日中は不在にしている。

夜も充分に眠れず、それとは関係なく母乳は与え続けないといけない。

否応なく体力はどんどん削られていく

 

眠いのに眠れない

僕が仕事に出かけると、不安で心が落ち着かなくなる。

 

産後の女性は、ホルモンバランスが乱れやすい

子どもを産む前であれば何でもないようなことが原因で、極度の不安に襲われたりする。

(ということを聞いてはいたけど、まさかここまでとは思わなかった)

 

どれだけ体力的・精神的にきつくても、赤ちゃんは何があろうと守らないといけない

その責任感とプレッシャーの中、奥さんはますます疲弊していく。

誰に頼ることもできず、たった一人で奥さんは戦っていたのだ。

SOS
no image
奥さんに産後うつの兆候? 回避するには夫婦の会話が重要なのかも。

奥さんからSOSが出た。 身体的にも精神的にも限界に来ているらしい。 自分でも何が原因なのか分からないとのこと。 睡眠不足もあるだろうし、それに伴う疲れもあるだろうし、ずっと家に籠もりっきりで気が滅入 ...

眠れない
暗闇に浮かぶ明かり
奥さんが精神的に参ってる。暗くて狭い空間に閉じ込められる孤独感。

奥さんがまた精神的にキツくなってきたようだ。 「眠いのに寝れない……」と。 部屋が暗いのが怖いのだという。 今は奥さんと赤ちゃんが二人で小さめの和室で寝ている。 ほとんど物も置いてないし、明かりが消え ...

しかし、当時の記事を読み返してみると、自分の記憶以上に奥さんへ負担を強いていたことに気付かされる。

無理やりにでも奥さんを休ませないとダメだったんだよ。

もっとできることがあっただろう、自分。

 

そして、自宅へ帰ってきてから 1 ヶ月も経たないうちに、再び実家へ戻ることになった

再び実家へ
心に聴診器を当てて診察してるイメージ
奥さんと赤ちゃんが再び実家へかえることに。原因は精神的なしんどさ。

奥さんが赤ちゃんを連れて、実家へ帰ることになった。 と言っても、何かに怒ってとか不満があってとかではなくて、ここ数日続いていた精神的なしんどさが原因。 僕が仕事に行ってしまうと、日中は赤ちゃんと二人き ...

そのときの奥さんの落胆ぶりは、見ている僕がつらくなるほどだった。

 

思い通りにいかない不甲斐なさ。

また実家の世話になってしまう情けなさ。

いろんな感情がないまぜになっていた。

 

僕の中にも、再びご両親に頼ることへの抵抗がなかったわけじゃない

むしろ、そうならない方法を最後まで模索していた。

が、どうにもならなかった。

最終的には「諦めた」というのが正直なところなのだ。

 

たぶん、奥さんを追い詰めてしまったのは、こういう考え方をしていたことも要因の一つだと思う。

この頃の僕(と奥さん)は、実家に帰ること・頼ることを「するべきではない」だと思っていたのだ。

子どもは両親だけで育てないといけない? (んなわけないのだけど)

口では「使えるものは全部使って」なんて言っていた。

だけど、心のどこかでは「自分たちだけで何とかなるだろう」「何とかしよう」という意識があったことは否めない。

 

他の人の力を借りることが「悪いこと」じゃないのは分かっている。

それよりも、「不合格」の烙印を押されることに恐れを抱いていたのだ。

「お前たちは親として失格! 力不足!」と言われるような気がして。

 

そんな烙印、誰も押すことなんてないのに。

結局は一人相撲(二人相撲?)で、自分たちで勝手に苦しんでいただけだった。

 

僕以上に「自分たちで」とこだわっていたのは奥さんだ。

たぶん彼女の中にある母親のイメージがそうさせたんだろう。

完璧な母親像が奥さんの中にはあって、そうではない自分とのギャップに相当苦しんでいた。

 

この頃の奥さんは「何もできなくてごめんね……」ということをよく言っていた。

僕からしたら充分、というか、やり過ぎるくらい頑張っているように見えたのだけど……。

 

「今できることをやればいいんだよ」

「初めてだし、できなくても仕方ない」

「少しずつできることを増やしていこう」

いくら言葉を重ねても、なかなか奥さんの腑に落ちることはなかった。

(僕も不安の中に居ながらの言葉だから、あまり説得力はなかったかも知れない)

 

頭では分かっていたのだと思う。

理屈としてはそうなのだろう、と。

だけど、完全に納得してしまうことを感情が許さない。

納得するということは、つまり「完璧な母親」になれないことを意味するから。

 

ここから脱却するには、たった 1 ヶ月では足りない。

ゆっくりと時間をかけて、理想と現実をすり合わせることが必要だったのだ。

あれだけ葛藤した末に実家へ戻ることを決めてから、約 3 ヶ月半。

今では何の抵抗もなく、実家の世話になっている。

 

僕もすっかり慣れてしまって、ご両親の目の前でスマホをいじったりするまでになった(笑)。

(初めて挨拶したときの緊張感はどこへやら……)

 

もちろんここまでの道のりも決して平坦ではない

紆余曲折、試行錯誤を繰り返した結果だ。

2 回目の実家。焦りを押し殺すように。

お宮参りが終わった後、実家へ戻ってから奥さんはしばらく寝込んでしまった

体力的に限界が来ていたこともあるけど、それ以上に精神的なショックが大きかったのだと思う。

最低限の赤ちゃんの世話をしながら、何とか日々を乗り越えていた。

 

一人で外出することもできない。

電車に乗るなんてもってのほか。

一週間ほど経った頃には、近所を散歩するくらいはできたようだけど。

それでもせいぜい数分程度だ。

 

僕が実家へ行ったときに一緒に出かけて、ちょっとずつ距離と時間を伸ばしていく

心療内科にも通うようになって、そのときはお義母さんが付き添ってくれた。

とにかく実績を積み重ねていくしかない。

少しずつ、本当に少しずつ、行動範囲を広げていった。

買い物へ
久しぶりに奥さんと二人きりでお出かけ。ロールケーキを買いに行く。

今日は久々に奥さんと二人きりでお出かけ。 とは言っても、近所のお菓子屋さんにロールケーキを買いに行っただけだ。 一応「こどもの日だから」という大義名分を掲げてはいるものの、特別仕様になっているわけでも ...

 

この頃の奥さんは、しきりに「自信を付けなきゃ」と言っていた。

もうこの頃には、いきなり自宅へ帰れるとは僕も奥さんもさすがに思っていない。

焦る気持ちを何とか押し殺すようにして、体と心を整えようとしていた。

一進一退しながら、上昇基調へ。

再び実家へ戻ってから約 1 ヶ月後、奥さんと赤ちゃんが一時帰宅した。

自宅近くのクリニックで予防接種を受ける必要があったからだ。

それに合わせて、「リハビリ」も兼ねて自宅で泊まることに。

一時帰宅
帰宅のイメージ
奥さんと赤ちゃんが一時帰宅。2 回目の予防接種とリハビリも兼ねて。

奥さんと赤ちゃんが実家に再び戻ってから、ちょうど一ヶ月経った昨日。 一時的に自宅へ帰ってきて、一泊することになった。 主な目的は、赤ちゃんの予防接種を受けるため。 それと、両親の居ない環境に慣れるため ...

 

この頃には、奥さんもようやく自信を取り戻しつつあった

良いときとそうでないときの落差はまだあるものの、全体としては上昇トレンド

表情も当初に比べて、かなり明るくなってきていた。

 

ただ、やはり両親のサポートがない状況で過ごすのは簡単じゃない。

「自宅に泊まれた」という自信と、「それでもダメだった」という落胆

その両方を得て、再び奥さんと赤ちゃんは実家へ戻っていった。

 

その後は、ときどき自宅へ帰ってくるようになる。

ご両親が二人とも不在のときに、「どうせ一人になるなら」と帰ってきたこともあった。

一時帰宅
帰宅のイメージ
奥さんと赤ちゃんが再び一時帰宅へ。強い気持ちに注意しつつ、実績の積み重ね。

明日、急遽奥さんと赤ちゃんが自宅へ帰ってくることになった。 と言っても、こないだと同じように一泊だけの小旅行。 明後日には実家へまた帰ってしまう。 明日はお義父さんは用事で、お義母さんは仕事で不在。 ...

 

この頃には長時間の移動もできるようになっていたし、人が多いところ(ショッピングモールなど)にも出かけられるようになっていた。

その様子を見て僕は「あぁ、これは本当に大丈夫かも知れない」と思うようになる。

 

しかし、これがきっと油断を生んでしまったのだ。

このタイミングで僕は、とんでもない大失敗を犯してしまう。

積み上げてきた自信を失いかねない、大失敗。

奥さんと赤ちゃんが一時帰宅した翌朝、僕は仕事に出かける準備をしていた。

僕にとってはいつものルーティーン。

奥さんは寝不足の様子。

夜の様子をいろいろ話してくれていたのだけど、僕は気持ち半分で生返事ばかりしていた。

 

「準備が終わったら話を聞こう」

そう思っていた。

しかし、それを待たずに奥さんが限界を超えてしまった

 

僕があまりに「いつも通り」準備を進めるあまり、まるで「自分たちが居ないみたい」に感じたのだという。

そう言われて僕はようやく目が覚めた。

奥さんはまだ「大丈夫」なんかじゃない

自信を積み重ねてきたと言っても、ちょっとしたことで崩れてしまうほど不安定なのだ。

大失敗
夫婦喧嘩
大丈夫なときほど油断大敵。奥さんを不安にさせない 2 つの教訓とは?

また奥さんを泣かせてしまった。 今まで積み上げてきた自信を、一気に崩しかねない大失態。 完全に油断していた。 せっかく一時帰宅できたというのに。

 

このときの僕の態度は、「ちょっとしたこと」どころじゃない。

大げさではなく、これまでの努力を台無しにしかねないほどの大失敗だった。

 

幸いなことに、奥さんはこの後すぐに落ち着きを取り戻してくれた。

しかし、本当にラッキーなだけだと思う。

ここまで血の気が引く思いをしたのは、生まれて初めてだったかも知れない

 

どんなときも油断してはいけない

たとえ奥さんが「大丈夫」と言っても。

しっかりと奥さんの様子を見て、どんなに小さな変化も見逃さないようにしないといけない。

 

この一件で得た教訓は、ものすごく重いものになった。

一時帰宅の日数・頻度が増えてきた

最近は自宅へ帰ってくる頻度も増えてきて、泊まる日数も多くなってきている。

三ヶ月検診お食い初め、予防接種など、赤ちゃんのイベントがあるときはほぼ必ず帰ってきた

お食い初め
お食い初めで使う歯固め石
お食い初めを自宅で実際にやってみて「分かった」&「思った」こと。

約一週間前、自宅でお食い初めをした。 生後ちょうど 4 ヶ月目、およそ 120 日を迎えたところ。   両家の両親も久しぶりに勢揃い。 合計 6 人の大人が狭いリビングに入ると、さすがにすし ...

 

前回の予防接種は天神祭の時期だったから、一緒に花火を見ることもできた

初めて見る花火に赤ちゃんも大興奮……とはいかず、案の定泣き出してしまったけど(^_^;)

あんな音を聞いたら無理もないか……。

 

当初は 1 泊するだけでも不安だったのに、ここ数回は 3 泊もしている。

予防的に薬を飲んでいる効果もあってか、大きく体調を崩すこともない

精神的にもずいぶん安定しているようだ。

(とはいえ、僕は前回の「大失敗」があるから油断はできない)

 

奥さんの中にも、「このまますんなり自宅へ帰れるわけじゃない」という意識は当然ある。

それを正面から受け入れることができたのは大きい。

「完璧な母親像」を追っていた頃からは想像もつかないほどだ。

 

今の自分の状態をしっかりと把握できているのだろう。

無理をする場面じゃないことが分かっているから、薬も飲むし、しんどいときは「しんどい」とはっきり言う。

 

そして数日を自宅で過ごすと、再び実家へ戻っていく。

それが自宅へ帰ってくる最善・最短の方法だと理解しているから。

追い求めた理想の姿ではないかも知れないけど、着実に前進している。

「終わり」が見えていることが安心感を生む。

今の奥さん(と赤ちゃん)の「帰宅」は、数日後には実家へ戻ることを前提にしている。

つまり、「終わり」が見えているのだ。

これが安心感を生み、精神的な安定につながっているのだと思う。

 

どんなにつらい状況になったとしても、数日後には一つの区切りを付けて、別の状況に移ることができる。

こう思える精神的な余裕は非常に大きい。

 

もし終わりが見えない状況だと、「こうなったらどうしよう……」という想像だけで不安に陥ってしまうかも知れない

というか、少し前の奥さんはそんな状態だった。

近視眼的というか、目の前のことでいっぱいいっぱいだったのだ。

 

ところが最近は余裕も出てきて、赤ちゃんが泣き止まなくてもテンパったりはしない

ベビーベッドにしばらく「放置」してみたり、「きみが寝ないから悪いんでしょー」と赤ちゃんに悪態をついてみたり。

距離の取り方を奥さんなりに試しつつ、体得してきているのだろう。

 

試したことがたとえ失敗でうまくいかなくても、数日後には実家へ戻ってリセットできる。

だから思い切って、いろいろとチャレンジできる。

チャレンジすることで成功体験を得ることができ、自信にもなるし対処の選択肢も増える

良いこと尽くめだ。

うまく好循環が回り始めている。

反省を踏まえつつ、次のステップへ。

次に奥さんと赤ちゃんが自宅に帰ってくるのは、来週の盆休み。

もうすぐだ。

これまでよりも、やや長期で滞在予定。

 

でも、無理はしない

途中でしんどくなれば、そのときに実家に戻ることだってできる。

予定通りにいかなくたって、何の問題もないのだから

 

もちろん僕もいつもより側に居れるから、そうならないように全力で向き合うけど。

 

でも、無理はしない。

頑張らない。

ちょっとずつ、ちょっとずつ。

これからについて。

つい先日、奥さんがこんなことを言った。

最近またお父さんがうっとうしくなってきた(笑)」

 

産後すぐの頃には、何度も何度も言っていたことなのに。

最近はまったく言わなくなっていた。

もちろん慣れもあるだろうけど、それ以上に、奥さんにそれだけの余裕がなかったのだ。

 

しんどいときには何とも思わなかったけど、頭が回りだすといろいろ感じるようになって

それだけ、まわりの声や出来事を感じ取れるようになったということだろう。

これまで内向きだったアンテナが、少しずつ外側へ向き始めたのかも知れない。

 

この先、いつまで実家の世話になるのだろう。

それは誰にも分からない。

ただ、もう今はそのことを負い目に感じることはなくなった

 

赤ちゃんにとって、奥さんにとって、何が最善なのか

それだけにフォーカスすれば、考え方も自ずとシンプルになる。

余計なことで悩むのは、もうやめた

 

赤ちゃんと奥さんが元気なら、それでいい。

そのために僕は何ができるのか。

考え続けよう。

  • この記事を書いた人
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きーやん

38歳で初めて子どもを授かりました。「本業は父親」をモットーに、当事者として育児に奮闘中。その中で感じたことや考えたことを、体験ベースで記事に書いています。子どもの教育資金などを蓄えるため、副業や投資についても試行錯誤の日々。

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