保育園の散歩

育児について考えたこと

大津の事故から考えたこと。想像力と身体の拡張と人を信用することについて。

投稿日:2019年5月8日 更新日:

滋賀・大津でまた痛ましい事故が起きた。
自動車 2 台が衝突し、その弾みで 1 台が歩道へ突っ込んだ。
運悪く(としか言いようがない)散歩中だった保育園児と保育士が巻き込まれ、園児 2人が亡くなったという。
その他にも多数の園児や保育士もケガをしているそうだ。

本当に、何と言うか、やるせない。
報道を見る限り、保育園側には何の落ち度もないように思える。
充分に広い歩道を歩き、車道から離れた位置で信号待ちをしていたそうだ。
もちろん車道側には保育士が立っていた。
(ガードレールが無かったという指摘もあるけど、それは行政の責任だし)

事故そのものや保育園が会見する必要性(それとマスコミの質問の仕方)に関しては、それほど多くの情報を知っている訳ではないので他へ譲る。

ここでは、事件を受けて僕が感じたことを書き残しておきたい。
たぶん自分に子どもが居なかったら、また別の感じ方になっていたはずだ。
子育て当事者になった今、感じていることをツラツラと書き連ねてみようと思う。

子どもを失う「喪失感」という痛み

まず思うのは、やはり「この事故で巻き込まれたのが、うちの子だったら」ということだ。
考えたくないことではあるけど、どうしても考えてしまう。

事故に巻き込まれた子どもの親たちは、どんな気持ちになっているだろうか。
特に亡くなった子どもの親のことを考えると、思考が混乱してしまうくらい整理がつかない。
現実を受け止めきれないのが実際のところだと思う。

子どもができてから僕が特に実感しているのは、「子どもが居なくなった(と想像した)ときの喪失感」の大きさだ。
これは産前や独り身のときには、想像すらできなかった感覚。
子どもが居なくなるということは、悲しいとか悔しいとかだけではなくて、自分の一部を剥ぎ取られてしまうような「痛み」を伴うものなのだ。

妊娠してから十月十日、散々しんどい思いをしてようやくこの世に生を受けた我が子。
産まれてからも大変なことばかりだけど、それすらも愛おしく思えてしまう。
むしろ大変であればあるほど、子どもへの思いは強くなっていく。

子どもは自分とは別の人間だ。
自分の考えや感覚を押し付けてはいけないし、子どもの権利は最大限尊重しないといけない。
それはもちろん分かってる。

だけど、子どもが自分の分身であるかのようなこの感覚は如何ともし難い。
まるで自分の身体から地続きで繋がっているような、身体が「拡張」されたような感覚が確かにある。

その子どもが、ある日突然、それも他人の不注意によって、奪われてしまう。
耐えられるはずもない。

僕ですらそんな感覚なのだから、奥さんはどうなってしまうのだろう。
正気を保っていられるだろうか。

事故に遭った子どもたちや保育士たちはもちろん、子どもの親(特に母親)たちの精神的なサポートが適切になされることを心から願います。

プロである保育士を信用したい

子どもができてから日常の中でも考えることは違ってきた。

例えば通勤中に一人で道を歩いているときにも、ふとこんな想像をすることが多い。

「もしこの車が歩道に乗り上げてきたら」
「もし子どもが突然車道へ飛び出そうとしたら」
「もし向こうから歩いてくる人が突然襲いかかってきたら」

そんなことを常に頭の中でシミュレーションしている。
完全に癖になってしまった。

万に一つすら可能性はないのかも知れない。
だけど、それでも子どもの安全を脅かす要素がゼロではない限り、それに注意を払うのが親というものなのだと自分を通して理解した。

そしておそらく(というか間違いなく)保育士も同様だろう。
むしろプロとして、他人の子どもの命を預かっている責任があるのだから、余計に気を遣っているはずだ。
親たちが自分の経験や想像で考えているのに対し、保育士たちは過去の事例などもたくさん学んで、より適切な方法で子どもたちを守っているに違いない。

我が家も共働きだから、奥さんの育休が明ければ保育園のお世話になる。
そのときは、最大限の敬意を払って子どもを預けたい。
親が保育園や保育士のことを信用することが、子どもの安全にも繋がるはずなのだ。

きっと自分たちの手を離れることに不安はあるだろうし、目や手が届かないところに居ると思うと心配でならないだろう。
でも、それでもプロである保育士のことを信用し、その仕事がやりやすい環境・状況を作ることが、親としてできることの一つではないかと思う。

人間の想像力は豊かだ。
ときどきその豊かさが原因でしんどくなることもある。
現実で悪いことが起こると、悪い想像しかできなくなったりもする。

でも、そんなときこそ僕は人を信用したい。
心の拠り所が欲しい。
そのためにはどうしたら良いのだろうか。

きっと口で言うほど易しいことじゃないはずだ。
そのときが来るまでの間に、自分がどう過ごしてきたかが試される。
今のうちから考えておかないといけない。

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きーやん

38歳で初めて子どもを授かりました。「本業は父親」をモットーに、当事者として育児に奮闘中。その中で感じたことや考えたことを、体験ベースで記事に書いています。子どもの教育資金などを蓄えるため、副業や投資についても試行錯誤の日々。

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