風邪を引いた子ども

育児について考えたこと

息子の発熱に思うこと - 「ちょっとした異変」に気付くには。

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息子がまた発熱した。

つい最近 RS ウイルスに感染して 40 度近い熱に数日間苦しめられたばかり。

(そのあたりの顛末をまとめようと思いながらも日が経ってしまった)

 

今回はその RS ウイルスのときに比べれば症状は軽い。

熱も 38 度前後までしか上がらないし、1 日で解熱したようだ。

 

ただ、今回の発熱で子どもの「ちょっとした異変」に気付くことの難しさを痛感した。

「今思えば……」「後から考えれば……」ということはいくつもあるのに、そのときにはなかなか気付けない。

 

まぁそう僕が感じたというだけのことなので、実際のところはどうか分からないのだけど。

ただの感想や反省文にしかならないかも知れないけど、思い付く限りザーッと書いてみることにする。

目に見える異変は咳→熱

最初に体調の変化があったのは、昨日(月曜日)の日中。

保育園で過ごしているとき、咳が出始めたとのことだった。

そのときは熱も 37 度台前半くらいで、「お家でも様子を見ておいてくださいねー」程度だった。

 

しかし、夜になって熱が 37 度台後半にまで上がり、計るときによっては 38 度を超えることも。

さすがにここまで上がると「様子見」と言っていられる状態じゃない。

翌日から保育園を休んで自宅で過ごすことにした。

 

日が明けて今日(火曜日)、朝起きたときは 37 度台後半の熱が引き続き出ていた。

咳も治まりそうにないし、鼻水もかなり出てきている。

鼻の中にもかなり溜まっていて、今日だけで奥さんが 5 回以上も吸ってくれたらしい。

 

夕方くらいには熱も下がって、夕食は普段と同じようにトマトやご飯をバクバクと食べた。

本人は至って元気で、朝からしんどそうな様子はない。

あとは咳と鼻水さえ出なくなれば「治った」と言えるところまではきている。

 

「ちょっとした異変」はその前からあった?

目に見える(分かりやすい)異変としては「月曜日の日中の咳」が最初なのだけど、今にして思えば「あれはその兆候だったのかも……?」ということが実はあった。

 

それは、昨日(月曜日)の朝のこと。

何をどうやっても出かける準備をまったくしようとしなかった。

かといって遊んでいる訳でもなく、こちらの言うことやることに「イヤ!」を連発するばかり。

母親から離れようとせず、ずっと抱っこをせがんでいた。

 

もちろんそうやってぐずることはあるけど、この日はそのレベルが違った。

本当に、何を言っても何をやってもすべてが無駄。徒労。

まさに「取り付く島もない」状態。

 

着替えない。

ご飯も食べない。

何も飲まない。

 

結局最後は奥さんが無理やり保育園に連れて行ったけど、それも「お母さんと離れるのがイヤだからついていった」という感じ。

決して自分から出ていったわけじゃない。

 

なぜこの日に限ってここまでひどいのか、僕も奥さんも理由はよく分からなかった。

思い付くとしたら、その前日(日曜日)に電車に乗ってお出かけをしたから「それが楽しかったせいで逆に離れたくなくなったのかもね」ということくらい。

 

だけど、熱を出して体調を崩している今になって思えば、ひょっとしたらあの「イヤ」の連発は子どもからのサインだったのかも知れない。

RS ウイルスで苦しんでいたときも母親への執着がひどくて、体調が回復するにつれて徐々に執着も薄れていった。

そう考えると、母親から離れようとしなかったのも、あるいは体調の異変が原因だったのかも知れない。

 

すべては僕の推測。

実際のところはどうか分からない。

ただ、普段とは違う様子があったにも関わらず、そこから体調の異変の可能性に考えが至らなかったことが悔しい。

 

「ひょっとしてちょっとしんどいのかな?」くらいのことは考えても良かった。

考えることは十分に可能だった。

それだけの材料は揃っていた。

にも関わらず、実際に咳が出て熱が出るまでその可能性すら思いつきもしなかった。

それがただただ悔しい。

 

「ちょっとした異変」に気付くには

医者ですら気付かなかった子どもの異変に親が気付いて、大きな病気を早期に発見することで一命を取りとめた、という話は度々耳にする。

確かに親が誰よりも子どものことを見ているのだから、最も異変に気づきやすいのは確かだろう。

しかし、「親だから子どもの異変に何でも気付くことができる」とは限らない。

あらゆる異変を無意識のうちに感知できるほど、人間のセンサーは上等なものじゃないのだ。

 

ではどうしたらいいのか。

そう考えると結局、日頃から常に意識して子どもを観察しつつ、自身の感覚を鍛えておくしかない……という結論になってしまう。

本当にそれくらいしか思い付かない。

 

すべてのことを完璧に感じ取る必要はない。

ただ最初の「ん?」という違和感を感じ取って、そこからどれだけの可能性に結びつけることができるか。

 

その目に見えない取捨選択は、無駄に終わることがほとんどだろう。

役に立つことはないままかも知れない。

だけど、それならそれで喜ぶべきことだ。

子どもが無事でいられたということなのだから。

 

いざというとき、その万が一のときのために、どれだけ多くの無駄な取捨選択ができるか。

それが「ちょっとした異変」に気付くために必要なことなんだろうと思う。

  • この記事を書いた人

きーやん

38歳で初めて子どもを授かりました。「本業は父親」をモットーに、当事者として育児に奮闘中。その中で感じたことや考えたことを、体験ベースで記事に書いています。子どもの教育資金などを蓄えるため、副業や投資についても試行錯誤の日々。

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